中学歴史・年代暗記⑫
2023/06/28
中学生:社会 歴史の年代暗記⑫ 江戸の政治改革(前編)
1687年…徳川綱吉が生類憐みの令を出す・「憐みの ヒーロー放つな 令出すな」
1709年…新井白石が政治を始める・「白石で 非難丸く 治まらぬ」
1716年…徳川吉宗が享保の改革を行う・「吉宗の 人の名広まる 享保に」
1772年…田沼意次が老中になる・「意次は 非難何も 気にしない」
1782年…天明の大飢饉が起こる・「天明に 非難や不満の 大飢饉」
1787年…松平定信が老中になり、寛政の改革を始める・「定信の 非難の話 しちゃいかん」
1833年…天保の大飢饉が起こる・「天保の 人は散々 大飢饉」
1841年…水野忠邦が老中になり、天保の改革を始める・「忠邦の 改革初めは 良いテンポ」
【徳川綱吉】江戸幕府の安定期。武断政治から文治政治の転換をはかる。身分制度や幕藩体制を正当化する理論として朱子学を重視した。(武断政治:逆らうものを力でねじふせる政治/文治政治:武力ではなく学問や礼節を重んじる政治)
違法行為や野蛮な行動をする「かぶき者」を取り締まり、平和な社会秩序を維持しようとしたが、行き過ぎた取り締まりによって多くの人が迷惑を被ったため「生類憐みの令」は「天下の悪法」と言われるようになった。
【新井白石】徳川家宣に用いられ、政治の刷新をはかった。(正徳の治)
「生類憐みの令」を即座に廃止する。”政治は民のためにあり、私的な事情に流されてはいけない”という信念のもとに政治を行う。「鬼」と呼ばれるほどの強い意志の持ち主。貨幣改鋳(質を落とした)を行った荻原重秀を追放し、慶長金銀と同じ品質に戻すなど改革を行ったが、経済が縮小し不況となった。
【徳川吉宗】家康の政治にかえることをめざし、質素・倹約を奨励し、幕府財政の立て直しを図ろうとした。年貢を増やすために新田開発を奨励したり、参勤交代で江戸にいる期間を半分に短縮するかわりに、大名から1万石につき100石の米を幕府へ献上させる上米の制を取り入れたりして幕府の収入を増やした。公事方御定書を定めたり、目安箱を設置するなどの政策も行った。
【田沼意次】徳川家治に用いられ、老中となり政権を担当する。(田沼時代)
商人と結び、経済優先の政治を行った。たとえば、株仲間を公認して商人たちに一定の利潤を保証する代わりに、運上金や冥加という税金や献金を上納させたり、長崎貿易を積極的に推進したりした。蝦夷地の開発計画を試みたり、印旛沼と手賀沼の干拓工事を実施したりした。(未完成)
しかし、役人や特権商人との癒着を招き、「わいろ政治」との非難を受けることになる。
⑬の後編につづく
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