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中学歴史・年代暗記⑨

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中学歴史・年代暗記⑨

中学歴史・年代暗記⑨

2023/05/22

 前回の続きです。桶狭間の戦いが起こる前の織田と今川の関係をおさえておきます。

織田の支配地(尾張)と、今川の支配地(遠江・駿河)の間に(三河)があり、織田と今川は三河をめぐって争いを続けています。地図で言うと、西から尾張-三河-遠江-駿河となります。信長の父信秀が三河に攻め込んだ時、三河の有力者松平広忠は今川義元に助けを求めます。義元は、広忠に援軍を送り、その見返りとして広忠の息子(後の徳川家康)を人質として駿河に送ることを命じ、三河を実効支配しようとします。1551年信秀が亡くなり、息子の織田信長が家督を継ぎます。尾張をきちんと治めるまでの期間に、今川義元は三河を支配下に収め、隣国の武田・北条と同盟関係を組みます。そして、尾張にある(今川方の手に落ちた城)鳴海城と大高城を拠点にします。これに対し、織田信長は2つの城の周辺に5つの砦を築いて防衛を強化します。

1560年、今川が動いたのか織田が挑発したのかは諸説があり分かりませんが、歴史が動いたのは確かです。桶狭間の戦いが起こります。当初、桶狭間の戦いは今川義元が圧勝すると誰もが思っていました。しかし、今川義元は、大軍を活かせず(そのように攻略されたのか?)織田に討ち取られます。

織田信長は東海地方を支配する今川義元を桶狭間の戦いで破り、「天下布武」という武力による全国統一の意志を表明します。

 あ、桶狭間の戦いでキャプションが終わってしまう。いったん終了します。

今回は、本能寺の変からだったのに!

1582年……織田信長は、本能寺の変で家臣の明智光秀に攻められて自害する。→明智光秀は、山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れる。秀吉は、山崎周辺の寺社地から台帳を集め、検地を進めていく。そして、信長の後継者となり天下統一へ動き出す。この流れは、みんな『イチゴパンツ』を履いて行われました。なんて、はずないけど、強烈なイメージがあるのでそういうことにしておきましょう。

次回は、江戸時代になるので、戦国時代の続きは機会があればということで、お許しください。

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